【イラストエッセイ】童謡・ぞうさんの歌詞について考えた
ぞうさんに関する4つの考察
今朝目覚めたときなぜか童謡「ぞうさん」が私の脳内に流れた。理由はわからない。
♬ぞうさんぞうさんおはながながいのね
そうよかあさんもながいのよ
何度かメロディを頭の中でリピートしていると、その歌詞についていろいろ気づくことがあった。
私はベッドから起き上がってMacbook Proを立ち上げ、
この文章を叩きつけるように書き始めた。
私が抱いた疑問は次のものだ。
一体、誰が象に話しかけているのだろう?
ここではそれを仮に「X」と呼ぼう。
以下、考察をしてみたい。
考察1 象以外の何者かが象に話しかけている
おそらく象に話しかけている対象は象ではない。
なぜならもしXも象であるならば歌詞は次のようになるはずだ。
♬ぞうさんぞうさんおはながながいのね
はいはいはーいはいはいはいはいはい
同じ種族である象からの無意味な揶揄を華麗に受け流す象。
これでは「ほんとお前デブだよなあ」「はいはい」とじゃれあっている二匹の力士のようなもので歌詞が成り立たない。
つまり、ここで象に話しかけているXは象ではない別の具象である。
この場合、象にきわめて近しい何か別の動物であると考えるのが適当だろうか。場所はおそらくアフリカの大草原。そこで象に対して気さくに話しかける動物といえば、同じ草食系哺乳類のキリンやシマウマあたりが浮かぶ。だが結論にはまだ早い。我々は更なるプロファイルを続けることにしよう。
考察2 Xの鼻はさほど長くはない
Xの鼻は象よりも短い一般的なものである。
なぜならもしXの鼻も象と同様に長いのであればわざわざ象の鼻について
揶揄することはおそらくないはずだからだ。
もしもXが象と同じく鼻がわりと長い(わりと、という点が重要だ)アフリカの動物、
たとえばツチブタやサイガ、テングハネジネズミのような種族であれば、
歌詞は次のようになる。
♬ぞうさんぞうさんおはながながいのね(サイガ)
なんだとてめえのもなげえわわりと(象)
俺の鼻は確かに長いけどお前のも結構長いよね、
お前の鼻もそんなにめちゃくちゃ長くはないけどけっこう長いよね。
本当に太ってるやつが小太りのやつに悪口言われるみたいな。
五十歩百歩みたいなちょっと微妙な空気が流れてしまう。
さらにもしXがキリンであるなら象の返答は次のようになる。
♬ぞうさんぞうさんおはながながいのね(キリン)
なんだとくびおばけきえうせろ(象)
俺鼻長いけどお前は首めっちゃ長いやん、みたいな。
つまり、どうやら象に話しかけているのはツチブタでもキリンでもなさそうだ。
ではXは一体何者なのだろう?さらに検証を進めよう。
考察3 その対象は比較的丁寧な言葉を用いる女性的な何か
Xと象は男性ではないだろう。
もし彼らが男性であるなら歌詞は次のようなややガサツなものになるはずだからだ。
♬ぞーうぞーう鼻がながいよな
そうだおかんのもながいんだ
しかし実際の歌詞では女性的な口調が用いられている。
つまりここでの登場人物はすべて女性であると考えるのが賢明だろう。
メスの動物Xがメスの象に対して語りかけているのだ。
もう一度歌詞を振り返ってみる。
♬ぞうさんぞうさんおはながながいのね
そうよかあさんもながいのよ
どれほどXが丁寧かおわかりだろうか?
・象に対しては尊敬語「さん」が用いられ、
・さらに今回の主題である揶揄された長い鼻に対しても尊敬語「お」が添えられている
ここで用いられている言葉は例えば、
「あらぞうさん。あなたってば、おはなが長いのねえ。へえ、お母様も長いの?だからどうしたっていうのかしら。いけない、カプチーノが冷めてしまいそうだわ。
こんな昼下がりには草原に寝そべってクレモンティーヌでも聴こうかしら?もちろんあなたの長いお鼻を枕にしてね」
ジャン=リュック・ゴダールも真っ青のヌーヴェル・ヴァーグ映画、フランス淑女のごとく極めて美しいレトリックである。
ただ、丁寧な言葉を用いながらも話の内容は極めて無礼であることにも着目したい。ここではあからさまな肉体的蔑視が行われているのだ。仮に象が名誉毀損で民事訴訟を起こせば勝てるレベルの極めて辛辣な言葉による暴力である。
さて、私はXが女性であるとの結論を下した。
ただ、もちろん象と対象がオネエである可能性は否定できない。
つまり、対象がIKKOである可能性もこれまた否定はできない。
ここである種のひらめきが私の脳内を駆け巡る。
それはまるで映画ユージュアル・サスペクツのラストシーンのように。
私はこれまでに、象に話しかけているXの特徴を次のように述べてきた。
・象にきわめて近しい何らかの動物
・対象の鼻は象よりも短い一般的なもの
・サイガでもテングハネジネズミでもない
・丁寧な言葉を使いながらも話している内容は極めて無礼
・女性的な何か
これらの特徴はすべて完全にIKKOに当てはまる。
我々の脳裏には以下のような情景が浮かぶはずだ。
・IKKOがバラエティ番組の収録でアフリカに赴いた。
・そこで本物の象を見て驚き童謡ぞうさんを歌った。
象に対する無礼で直接的な発言もIKKOであれば十分考えうる。
なんということだろうか。
つまり象に話しかけていたのはIKKOだった。
答えを知ったとたん急激に疲れてしまったが
我々はさらに考察を続けよう。
考察4 その番組は地方ローカル局放送
オネエキャラの地位をマツコ・デラックスに完全に奪われてしまった今のIKKOの
人気の凋落ぶりから考えると、おそらく番組は全国ネットではないだろう。
ただIKKOをアフリカの草原に送り込むとすればけっこうな撮影費がかかるため、
潤沢な資金を持つ在阪キー局のどこかではないだろうか。
つまり、MBS、ABC、関テレ、よみうりテレビのいずれかだ。
テレ東のキー局であるテレビ大阪はIKKOの寸劇に金を投機できるほど儲かってはないだろう。
阪神タイガース生中継のためだけに存在する神戸のサンテレビも除外すべきだ。
延々松竹中堅芸人のロケ番組「わがまち探偵団」の再放送を続けるケーブルテレビについては言及する必要すらない。
次に、IKKOの同行者にはよしもと若手芸人が含まれているはずだ。
なぜなら、
1、大阪のテレビ局は何かとよしもと若手をロケに使いたがる。
ギャラが安いのにしゃべりが達者でいい仕事をするためだ。
2、飛び道具のIKKOだけで補えない部分をしっかりした進行のできる若手で補おうとするはずだ。
いくら奔放な大阪のテレビ局とはいえ、まさかIKKOひとりだけでアフリカ・ロケを敢行するほどの度胸はない。
さてよしもとの若手事情というと私は最近ちょっと疎くて申し訳ないのだが、
おそらくロケの帝王「千鳥」あたりが使われるだろう。
チェックメイト・セカンド。私は指をパチンと鳴らす。
つまりそのキー局は千鳥を好んで使うMBSだ。
歌詞は次のようなものになる。
IKKOの揶揄に対する千鳥からの返答だ。
♬ぞうさんぞうさんおはながながいのね(IKKO)
ちょっとIKKOさんいいすぎですって(ノブ)
もしくは
♬ぞうさんぞうさんおはながながいのね(IKKO)
IKKOさんおまえにはゆわれたないわ(大悟)
アフリカの大草原を背景に
千鳥のふたりがIKKOにつっこんでいる姿が
ありありと脳裏に浮かぶではないか。
私にはなぜかmisonoの残像も見えた。
では運悪くIKKOにディスられたアフリカ象からのアンサーソングは?
象 VS IKKO。
米国 VS 旧共産国のような極めて単純な対立図式だ。
いよいよ米国のラッパーLil WayneとDrakeのようなディス合戦の様相を呈してきた。
♬ぞうさんぞうさんおはながながいのね(IKKO)
なんだとこのやろうまがいもの(アフリカ象)
「ながいのね」と「まがいもの」で美しく韻を踏む象。
もとい、我々は結論に急ごう。
以上の考察から導かれた結論
・Xの正体はIKKO
・番組名は「千鳥&IKKO&misonoが行く!アフリカ大草原の旅!言うよね~!二時間スペシャル」
・放送時間は日曜日午後2時~4時
「絶望」という言葉を映像で具現化するならばこんな感じなのだろう。
限られた八〇年という人生の中の極めて尊い二時間を、
なぜ君と私はこの番組を視聴するために使用せねばならないのか?
それでも君はこの番組を見る。ひとりで。畳に寝転んで。真顔で。
二時間の間全くの無表情を保ったまま。
もちろん番組ではたくさんの楽しいハプニングが起こる。
IKKOが現地住民に暴言を吐いたり。ライオンの集団に追い掛け回されたり。飲むなと行った水道水に手を出しやっぱり下痢になってホテルで寝込むIKKOの点滴姿でCMが開けたり。
途中で千鳥だけが先に帰国したり(漫才コンクールに出場するため)。
部族にホームステイしたmisonoが私今日からアフリカに住みたいと涙を流しながら本気で言い出したり。私はアフリカからもらった優しさを歌でお返しをすると全く意味不明なことを言い出したり(エンディングは無論彼女の歌で締めくくられる…サバンナの荒野に沈みゆく夕陽をバックに)。
こうして番組は一応は無事に終了する。
もちろん出演者たちの身に何が起ころうが君は完全なる無表情を貫き通す。
番組が終わる。
時計はきっかり日曜の午後四時を指す。
二時間の精神修行を終えて一抹の倦怠感を抱えた君は、
自分がなぜこの世に生きているのかよくわからなくなっている。
君は自分の頬を何度か叩いて自己存在を確かめる。大丈夫、まだ生きている。
君はまだここに存在している。
君は軽く伸びをすると、笑点が始まるまでの90分間を一体何をして過ごせばいいのか考える。
あの間抜けで心地よいBGMにさえつなげればそこから静岡に住む平凡な一家の寸劇へ、さらにはモンスター老人を中心に据えた核家族の日常模様へと、日曜日の黄金パターンを踏襲できる。
午後7時になればあとはニュースでも見てお風呂に入って、明日の支度をして眠ればいい。
そして君は決断する。3日前に行ったばかりのブックオフに「また」赴くことを。
コンビニコミックの美味しんぼでも立ち読みしよう。なんだったら奮発して百円本を何冊か購入しても構わない。
君はポケットに千円札だけを入れて玄関を出る。帰りにイオンに立ち寄って今日の夕食になるにぎり寿司のパック詰めでも買って帰ってくれば、カラフルな着物を着た師匠たちが座布団に座って君を笑わせようと待ちかまえているはずだ。
君は今、イオンに続く整備された国道沿いを歩いている。昼下がりで車の往来はゆったりとしている。
ブックオフ・吉野家・くら寿司など大手チェーン店が立ち並ぶ日本の地方都市の国道をイオンに向かってただただ歩き続ける日曜日の午後。その行動の意味について君はしばらく考えてみて、すぐにやめる。気が狂いそうになったからだ。
君は強烈な既視感にめまいさえ感じながら、延々続くチェーン店を横目に歩き続ける。
まるでカルマを抱えた魂の永遠に繰り返す輪廻転生のように、チェーン店は暴力的に繰り返し君の視界に現れる。
ようやく君はイオンに到着する。寿司はすでに売り切れている。
****
日本の地方都市でひとり地元の日曜日を過ごすこと。
それは無間地獄に近い。
そんな極東の島国に住む我々の苦悩について象は全く知らず、今日もアフリカのだだっ広い草原にたくましく屹立し、あの長い鼻を静かにくゆらせている。
どうすれば野良猫に逃げられずにナデナデできるか? -猫追いの方法-
猫を追いかける作業(どうすれば野良猫に逃げられずにナデナデできるのか?)
猫を追いかけ続けてもう何年になるだろう?
僕はよく道で野良猫に遭遇する。そのたびナデナデしようと思って近づき、そして絶対に逃げられてきた。絶対、という点が重要だ。たまにナデナデできるとかじゃない。絶対に失敗してきた。僕の猫ナデリングの企ては100%の確率で失敗してきた。いいかい?100回やって1回成功したとかじゃない。100%失敗してきたんだ。つまり、一度も成功したことがないんだ。
おそらくこれまでの僕の人生の中ですでに1万回は野良猫と遭遇したはずだ。地元の街で、地方で、旅先で。そしてそのたび、僕は近づき、猫は逃げた。猫は絶対に体を触らせてはくれなかった。
散歩をしていて曲がり角を曲がる。野良猫がマンションの花壇前に座り込んでいる。さあ猫追い開始だ。僕は彼女に気づかれない位置までスニーカーをにじらせて近づく。彼女を思う存分撫で回してほくそ笑む自分の姿を思い描きながら。猫は耳をピンと立てて、敵が自分の安全領域を超えて侵入したことを察知する。首をこちらに少し傾け、大きな目を見開いて僕の存在を確認する。「侵入者だ!」猫は視床下部を通じて脳に緊急指令を出す。次の瞬間、彼女は全身にノルアドレナリンを分泌させ、Fight or Flight(戦うか?逃げるか?)の状態に入る。硬直する筋肉、そばだつ毛並み。侵入者は徐々に彼女との距離を詰める。緊迫する空気。数秒の沈黙のあと、彼女は前足でアスファルトを蹴って裏路地に逃げ込む。
10,001回目の猫追いが今日もこうして失敗する。
ここまで読んできて、あなたも猫追いがやってみたいと思ったのではないだろうか。なにより、ここまで読んだことがその証拠だ。
では、猫追いを開始する前に重要事項を再度確認しておこう。
【猫追いを始める前に簡単な説明書】
ナデナデ及びナデリングとは
説明の必要があるのだろうか。無論、猫をナデナデすることだ。撫でるのは頭だけじゃない。腹、尻、しっぽに至るまで、猫の体すべてを君の10本指、ときには頬を使ってこねくり回すことだ(このとき、できればハフとかホフヒとか、ハ行の擬音をふんだんに用いつつ、呼吸を必要以上に荒らげることも勧める)。猫がキレるくらいがちょうどいい。
最愛の恋人とのベッドインを想像していただければいい。似たようなものだ。
ナデリングとは、Nadering、つまりナデナデの現在進行形を指す、至って簡単なことばだ。
追う対象は野良猫であること
「ナデナデしたいなら猫を飼えばいいだよ」という静岡弁や「猫こうたらええやん」という大阪弁もどこかから聞こえてくる。これには、ふざけるな、と言いたい。それこそ邪道中の邪道だ。それはもはや追っていない。保有じゃないか。あくまでもプロの猫追いは猫を追う立場にいなければならない。それはまるでビジュアル系ロックバンドを追いかけて地方を巡業するグルーピーの女性のように、手に入らない対象を追う行為に美徳があるのだ。
この意味から、ナデリングを画策すべき対象は野良猫でなければならない。家猫や、変に手なずけられたニセ野良猫では話にならない。狙うべくは、凶暴な野良猫。来たるべき最終戦争に備えて爪を研ぎ、近づく人間に牙を剥く。もはや山猫。ライオン。ヒョウ。ピューマ。チーター。近づけば殺される。肉食獣たるネコ科のプライドをたたえた毛品のある野良猫。そんなレベルのびっくりするくらいなつかない野良猫こそを追う対象にすべきだ。さっきも記述したが、絶対に手に入らない対象を追いかける。ここに猫追いの全てが集約される。飼い猫をナデリングして何になるのだろう?確約された成功に君は満足しているだけだ。部屋を出て、野良猫を追いかけよう。
手ぶらであれ(唾棄すべきは邪道な猫追い)
キャットフードや煮干しを片手に猫に近づくこともできる。それで猫の注意を引けば、比較的簡単にナデリングに成功するだろう。
それは構わない。ただ、「やあ、俺はきょうカルカンを用いて猫をまっしぐらにさせ、3匹もの猫のナデリングに成功したよ。君はどうだい?ああ、ゼロ匹。いつものことだね」とか僕に自慢してくる。これは片腹痛い。もはや両腹が、つまりお腹痛い。お腹痛い。イタタタ。え、めっさお腹痛い。理由わからへん。さっき腐ったブロッコリーを食べたからかもしれへん。
はっきり言おう。えさを用いた野良猫傀儡行為。いわば野良猫に対するハニー・トラップ。これは猫追いとしては高次元とは言えない。
ピュアな猫追いはいつだって手ぶらでなければならない。これは大事なことなのでもう一度言おう。ピュアな猫追いはいつだって手ぶらでなければならない。忘れっぽいあなたは紙に書いて壁に貼っておくことを勧める。これは禅思想にも通じるものだ。猫を追うとき、ムダなものは必要ない。煮干しなど持たず、手ぶらで、青空のように澄み切った心で猫を追いかけて欲しい。猫もきっとそれを望んでいる。もしこのテーマについてもっと詳しく知りたい方は、拙著「猫追いと禅」を一読することを勧める。
中には煮干しを持ってさえナデリングに失敗し、手の甲を引っかかれたどうしようもないバカもいる。まあ、それは私のことだ。
アクションプラン(きょうの行動計画)
では最後に、きょうあなたがすべきことをお伝えして筆を置くことにしよう。
1、1時間程度、家の近所をほっつき歩く
ふつうに歩いてはいけない。ほっつき歩かねばならない。口をぽかんと開け、どこを見ているのかよくわからない目で、鼻歌を歌いながら歩く。自動販売機のお釣り返却口を探ったりする。ツタヤに行ってCDもDVDも借りずに出る。母親に「あんたどこ行ってたん?」と言われて返答に困る。ほっつき歩くとはそういうことだ。もしほっつき歩く方法がわからないあなたには、これもまた拙著『人生がバラ色に変わる!地元の町をほっつき歩く101の方法』の一読を勧める。
2、少なくとも一匹のノラ猫を見つけて、追い、逃げられる
ほっつき歩けばだいたい野良猫の一匹くらいは見つかる。猫追いたるもの、見つけたら追う。追い方にもいろいろある。徐々に間合いを測りながら距離を詰めてもいいし、見つけ次第問答無用で猛ダッシュをしかけてもいい。だいたい連中はマンションの前に座っている。絶対に逃げられるが気にすることはない。猫追いとはそういうものだ。逃げられた時点で、猫追い完遂だ。さあ家に帰ろう。母親に「あんたどこ行ってたん?」と言われたら、無視するか舌打ちをしよう。
【最後に】
まあそんなことは絶対に起こりえないが、もし猫追いに成功し無事ナデリングを完遂したというあなたは私に電話で報告して欲しい。賞金は出ないが、私から「え?何それ?ああ、もしかしてあのブログ記事の?あー、あー。わかった。よかったやん。うん。もうええ?今野球見てるから。はい。はい。はい。はーい。はい。はーーーーーーい」というありがたい賛辞の言葉をお送りしよう。ただし、煮干しを用いたドーピング行為をしていたり、対象が飼い猫だったり手懐けられた野良猫だったりした場合、ペナルティを与える。私はあなたが一生猫追い業界で住めないように制裁をくわえるから覚悟することだ。私をあまり甘く見ないほうがいい。私は顔が広い。あのドイツの猫追いのカリスマ「デヴィッド・ウンダーバー」や、アメリカはテキサス州でノラ猫を追いかけ続けて早80年生きる猫追いレジェンド「ロバート・アンダーソン」とも私は顔なじみだ。いいね、あまり私を甘く見ないことだ。
では健闘を祈る。